おいらはドラマー♪ 2 [思い出]
♪~おいらはドラマー やくざなドラマー~♪
と、以前の記事と同じ出だしで始まりましたが、別にやくざな事はございません。
とこれも、前記事と同じですね。
禁煙日記、ランコム騒動記、アクアリウム。これが現在、私のブログの3本柱になりつつあります。つまりは、3週間分。しかし1ヶ月に土曜日は4回ありますね。場合によっては5回。ということは、あとの1,2回をどうするか。ランコム騒動記、アクアリウムも含めて、ネタを探すことになります。
そこで今回は、ミラクルママさんのご要望にお応えしました。
ドラムを叩いている若かりし頃の写真を、今度は顔がハッキリ分かるように再びアップです。前回は意図的に、顔の分からない写真を選びましたから。
ご要望とは言っても、半ば私が強要した感も否めませんが。
それでは、写真へ参りましょう。
これらの写真は、22歳頃と思われます。前回はライヴの写真でしたが、今回はとあるスタジオでの練習風景です。というわけで、ドラム・セットはスタジオ備え付けのものです。
私以外のメンバーも、前回とは全く違います。
やっぱり、ちょっと分かりづらいですか?
ええぃもう、こうなったら勢いで。ちょっと気取った写真も公開しちゃいましょう。恥ずかしついでです。
こちらの2枚は、上の練習写真前に撮ったもの。
それにしても。カッコつけてますねぇ。その気になってますねぇ。勘違いしてますねぇ。まったく、若気の至りです。
なんにしても、懐かしい。
早いもので、あれから20年。現在はスポーツ刈りにしてます。加えて、20年という年輪を重ねて来ました。
この写真からでは、現在の私は分からないでしょう。
という理由もあって、思い切って昔の顔で出てみた次第です。
お粗末!
追記
この記事公開に合わせて、アイコンも当時の顔写真にしてみました。やるときは徹底してというタチなので。
一応次回の記事まで、1週間期間限定の予定です。
マイホームの夢 [思い出]
先日、突然物欲が湧く事があると記事にしました。それで思い出した事があります。
家です。それは物欲に於ける、一つの究極と言えるんではないでしょうか。
買う前にあれこれ思いを巡らせ、考えている時間もまた楽しい。それで実際に買う事がなくなっても。そうも書きました。
私にとって家など、まさにその典型です。
10年近く前でしょうか。全く買える当てとてないのに、将来のマイホームに思いを馳せながら、住宅展示場巡りをしました。
音楽好きが嵩じてオーディオ・ヴィジュアルを趣味にしていたので、PCと合わせてそのセッティングも考える。果てには、間取り図なんかも書いてみたりして。
もちろん、未だその夢叶わずです。
しかしその間取り図がまだHDに残っているのを思い出し、ふと開いてみたわけです。
いやぁ~、懐かしい。当時とは自分のライフ・スタイルも随分と変わりました。しかし理想を描くとしたならば、やはり今でもこうなるでしょう。
というわけで、ちょいと記事にしてみようかと。
下が、当時描いた間取り図、及び家具類のレイアウトです。実物を計って縮尺を合わせているので、その大きさに関してはほぼ正確です。
ただブログ用に保存形式を合わせて、更に圧縮変換しているので、元画像よりは荒くなってます。
それとともに大きさの都合上、画像を90度左に回転したので、北が上になっていません。多少見辛い点は、ご了承下さい。
というわけで、いかがでしょう。といいましても、所詮は自己満足の世界。良く分かっております。皆さまもその点はご了解頂いた上で、お付き合い下さい。
まずは1階。
仏間ともなる和室は欠かせません。取り敢えず6畳、出来れば8畳欲しいところですね。
LDK。ダイニングテーブルとソファを配し、テレビはちょいと大きめのものを。まぁ、なんの変哲もないレイアウトです。
その他は、これもごく普通の水回り。
そして2階。
寝室は、作りつけのウォーク・イン・クローゼットの前に、これは絶対に欠かせない本棚。ベッドの横には、小型テレビとチェスト。ラウンド式のリクライニング・チェアとテーブルの下には、ラグを敷いて。
メインとも言える、ホビー・ルーム。南側の窓を背に、PC関連機器をセットしたデスク。北側にリア・プロジェクションモニター。フロント式なら尚ベター。両脇にメイン・スピーカー。当然、サラウンド用のスピーカーも配置します。正面ベスト・ポジションに、ラウンド式リクライニング・チェア。更にはテーブル、その下にラグを敷いて。周囲を囲むように、オーディオ機器、CDやDVD、レコードなどのソフト類を収めたラックを置きます。
北側の納戸は、あってもなくてもいいですが。
最後に庭。
庭は、あまり必要ありません。出来れば、車は2台欲しい。という事で、駐車スペースを2台分。
それにしても。それなりに大きな構想ですね。
まぁ、夢ですから。それは、理想でもあります。それを考えるだけならばお金もかかりませんし、楽しくもあります。
もちろん、実現するに越した事はありません。とはいえ今では、それほどのこだわりも、欲求もなくなってしまいました。
ただ、ふと昔描いた夢を思い出して懐かしくなったので、記事にしてみました。
加波山から望む [思い出]
前記事に引き続き、10年前に撮った写真です。同じく、プリントをスキャンしたもの。
やはり元写真と比べて明度が落ちているので、暗部が潰れてます。スキャナーを細かく設定すればいいんでしょうが、なかなかそこまでやってる暇が。と、言い訳してみました。
取り敢えず、再びご笑覧下さい。
前記時と同じ加波山から、隣りの丸山を望む。
同じく、筑波山方面。霞んでいるのが、筑波山か。
八郷町方面を見下ろす。
同じく八郷町方面、やや山寄り。
これから、修行します。まぁ、あまり肩肘張らずに。いずれ公開しますので、懲りずに見てやって下さいませ。
Canon AE-1とランドクルーザー70 [思い出]
torichinさんにそそのかされ……もとい、勧められ、再びフィルム一眼で写真を撮ってみようかという気になりました。
カメラは以前こちらの記事にした、Canon AE-1です。レンズはFD 50mm F1.4。いわゆる単焦点の標準、1本しかありません。
これで、皆さんに披露出来る写真が、果たして撮れるのか。はなはだ自信がありません。しかし単焦点でも、
「いかに何気ない物を絵にするか!がおもしろいのです」
と、再びtorichinさんにそそのかされ……もとい、励まされ、挑戦してみる事にします。
その前に。
10年ほど前でしょうか。同カメラとレンズで撮った写真があります。
場所は筑波山の北に位置する、加波山と言う標高709㍍の山。その山頂付近です。
今回は、私が過去に最も愛した車、ランドクルーザー70をモデルとして撮った写真を、公開してみます。
時刻は、朝の7時から8時頃にかけてだったと記憶しています。前夜車中泊して起きた後、食事を済ませてからだったので。
なんの変哲もない、ごく普通の写真ですが……。どうぞ、ご笑覧下さい。
プリントをスキャンしたものです。
明度が落ちている等、元写真と比べると、違いもあるのですが。取り敢えず、いかがでしょう。
Canon AE-1 [思い出]
小学生の頃から、写真に興味を持ち始めました。男の子なら、女の子もかな? 結構多いはず。
写真からそれを写すカメラまで、本を買って熱心に勉強を始めました。
中学生になってからでしたか。念願の一眼レフカメラを手に入れました。といっても中学生。買って貰ったんですけど。そのカメラがこれ↓
往年のカメラ好きならばご存じでしょう。CanonのAE-1です。シャッター・スピード優先、絞りは自動という、基本仕様でしてた。
当時はボディカラーが、上部シルバーからオール・ブラックにトレンドが変わり始めた時期。確かシルバーボディもラインナップされていたはずですが、ブラックボディにしました。
更には上位機種として、A-1というモデルもあったのですが、さすがにそこまでは手が出ず……というか、出して貰えず。
当時もNikonがトップブランドでしたが、私はCanon贔屓。それは未だに変わらず、プリンターもCanonを使用しています。
レンズは、Canon FD 50mm F1.4。単焦点の、標準レンズですね。
当時はまだまだズームレンズの性能も悪く、高かった。スタンダードではなかったんですね。主流は単焦点レンズでした。取り敢えずという事で、50mmの標準レンズから入りました。
その後レンズやストロボなど、アクセサリー類も買いそろえていこうと思ってはいたんですが……。
好奇心旺盛な年頃。次から次へと新しい興味が湧いてきて、結局カメラは、そこまで止まりで終わりました。
それでもAE-1はその後もちょくちょく使い続け、今でも良好な状態で保存してあります。
ブログを始めて5ヶ月。素敵な写真を公開されている方が、大勢いらっしゃいますね。
皆さんに刺激されて、またぞろ写真の虫、カメラの虫がうずき始めました。
現在は携帯電話のカメラ機能で、ネコのランディをチマチマ撮っている状態です。
上の写真も、実はそれで撮ったもの。携帯電話のカメラで一眼レフカメラを写す。それってどうなのよ。そう思わないでもないですが……。
最近はデジタル一眼レフカメラも、手ごろな価格になってきました。とはいえ、レンズまで揃えると、軽く10万円をオーバーします。そんな資金があるはずもなく。あれば、まずはパソコンの新調だ。という事で、資金を貯めている状態です。
暫くは皆さんの素敵な写真を拝見しながら、目の保養をさせて頂く事と致しましょう。
千葉ロッテマリーンズ短信
プロ野球日本シリーズ第2戦。我が千葉ロッテマリーンズが10対0で阪神タイガースを下し、見事2連勝です。
マリーンズとしては、この上ない展開。
しかしタイガースとて、このまま終わろうはずもありません。24日の移動日を挟んで、25日からは甲子園へ乗り込んでの3連戦です。
マリーンズナインも、決して浮かれてはいません。気を引き締めて敵地で戦い、出来れば甲子園で、1日も早く決めて貰いたいもです。本拠地へ帰って来てからなどと、そんな余裕はありませんから。
頑張れ! 千葉ロッテマリーンズ!
懺悔バトン [思い出]
kenskishさんがこちらで創作した、懺悔をするバトンです。okkoさんのこちら経由で受け取りました。
それでは、いってみたいと思います。
①それはいつのことですか。
中学2年の夏休みの事でございます。
②何をしたのでしょうか。
野球の公式戦。近隣市合同のトーナメント大会で、ファーストを守っておりました。ショートが投げたワンバウンドの送球を、後逸したのでございます。
③その結果どうなりました?
失点し、それが決勝点となり負けました。準決勝敗退でございます。
④何故その行為におよんでしまったのだと思われますか?
及びたくて及んだのではございません。技術の、未熟さゆえでございましょうか。
⑤それを今まで誰かに話しましたか?だとしたらその反応は?
衆目集まる中での出来事なので、その場で周知の事実でございます。3年生の先輩も含め、誰も責めませんでした。先輩とは部活以外でも交流があり、冷やかし半分に言われはしましたが、大会後も仲良くして頂きました。本当に良い先輩だったと、今でも思っております。
⑥今現在でもその事で良心の呵責を感じていますか?
あの時エラーをしなければ勝っていた。そう思う事はあります。しかし今では、ほろ苦くも良い思い出でございます。
⑦では、思いの丈をここで思いっきり叫んでみてください。
せんぱーいッ! あの時は私のエラーで負けました。どうもすみませんでした!
⑧最後に、このバトン、どうしましょうか。
どなたかを指名して、受け取ってもらいますか?それとも・・・?
例によって、読んでいるブログに登録している方。加えて、彼我のブログでコメントを交わした方々は、お気に入りに入れております。それらの方々も、よろしかったらお願いします。
尚このバトン、樫の木で出来ていて、手応えのあるバトンだそうです。くれぐれも、取り扱いにはご注意下さい。
小・中・高思い出バトン [思い出]
という事で、またまたpaserinさんのこちらからバトンを受け取ってきました。ムリヤリ。
高校時代は2ヶ月半しかないんですが、答えてみたいと思います。
Q1 小・中・高の中で1番、思い出深い時期は?
小学生の頃でしょうか。1年生の時、3年生の時と、2回転校したのですが、学校によって全く違う事があって、戸惑いながらも興味深かったです。
例えば鉛筆。最初の学校ではHBを使用。転校先ではHBは濃すぎるという事で、Hを使ってました。
Q2 1番お世話になった先生は、いつの時の先生?
小学生の頃は皆いい先生ばかりで、それぞれお世話なりました。
Q3 得意だった科目は?
歴史と国語でしょうか。
歴史に限らず、何かのルーツを遡って知るのが好きなんです。例えば、プロ野球球団のチーム名の変遷とか。
勉強は嫌いだったので、漢字とか覚える事は苦手でした。が、長文読解とか、考えれば答えが出てくる分野は得意でしたね。
Q4 では、苦手な科目は?
ズバリ、数学です。左利きの右脳人間には、あんなものさっぱり分かりません。
Q5 思い出に残った学校行事を3つあげてください。
小学校3年の運動会。当時は体育が苦手で、短距離走など、いつもビリかブービー。それがどうした事か、3年生の時に2位に入りました。あれは感動でしたね。
中学校の林間学校。野球部に所属しいたので、クラスを超えて楽しく遊んでました。
中学校の修学旅行。夜は先生の目をかいくぐり、女子の部屋で遊んでました。もちろん、健全な遊びでございます。
Q6 学生時代は、クラスではどんなキャラでしたか?
小学校低・中学年の頃は大人しく、いじめられっ子。それがどうしたことか、高学年になると活発になりました。もちろん、いじめる側には回りませんでしたよ。
中学時代は、男女の隔てなくつき合う、イーブンなヤツだったかと。って、どんなんだ?
Q7 学生時代の友達からの呼び名は?
割と普通に、本名でしたか……。そうそう。小学生の頃は、デデちゃんとか、ボボちゃんとか。母がそう呼んでたもので。なぜかは永遠の謎です。
Q8 好きな給食のメニューは?
給食は、小学校だけでした。
焼きそばとか、カレーシチューとか、揚げパンとか。ご飯が導入され始めたのは、私が5、6年生頃からでしたでしょうか。
Q9 学生時代に出会った友人は、あなたにとってどんな存在ですか?
現在はほとんど付き合いがありませんが。当時は男女とも、分かり合える仲間同士といったところでしょうか。
Q10 次にバトンを渡す5人
例によって、読んでいるブログに登録している皆さん。よろしかったら、いかがでしょう。お願いします。
我が名はみいこ 僭越ながら猫である [思い出]
我が名はみいこ、僭越ながらネコである。
もうすぐ二歳になる。これでも、れっきとしたオスだ。白黒ブチで、決して二枚目とは言えないけれど。
どうしてみいこかって? それは坊ちゃんが最初、メスだと思ったから。後で気がついたんだけど、今更変えられないからってそのまま。別に名前なんて、どうでもいいんだ。
プロ野球。ご贔屓球団の変遷。 [思い出]
阪神タイガースファンの皆さま。遅ればせながら、セ・リーグ優勝おめでとうございます。
プロ野球の話をするのは、初めてでしたでしょうか。
これでも中学3年間、野球部に所属してましたからな。最終的には、
「3番 ファースト えいこう君」
でもありましたから、野球は昔からそれなりに好きでした。
話はプロ野球でございます。現在は、千葉ロッテマリーンズのファンです。
しかし子供の頃は、ご多分に漏れず東京読売巨人軍のファン。
「我が巨人軍は永久に不滅です!」
長嶋茂雄氏の現役引退セレモニー。リアルタイムで見ております。テレビでですけど。小学校4年生でしたかな。
恐らく、長島さんの現役時代を知る、最後の世代ではないかと。
もっとも私、王貞治さんのファンでした。自分と同じ左利きなのと、あの1本足打法。カッコ良かった。当時の子供なら、みんな真似したはずです。
結構熱心なジャイアンツファン。それをやめる時が、唐突にやってきたのです。
あれは、1978年のシーズンオフだったでしょうか? 江川卓氏の、入団問題がありましたね。空白の1日とか。それが認められないと、小林繁氏を交換要員に、阪神との間で強引にトレード。
特に江川氏が嫌いという事はありません。小林氏のファンだったわけでもありませんでした。
ただ読売ジャイアンツ、球団経営側のやり方が気に入らなかったのです。未だにその辺りは、変わっていませんね。
ともかく、まずは巨人軍と決別したわけです。それから、次にファンとなるべき球団を探しました。
丁度ライオンズが、クラウンライターから西武へ譲渡され、福岡から埼玉の所沢へ移転。どうせなら新生球団というわけで、西武ライオンズのファンとなったわけです。
ところが、それまで万年最下位チームだったライオンズ。西武になったからとて、急に強くなるはずもありません。
結局、初年度は最下位。その後数年も、Bクラスに低迷。我慢の時期というか、とんでもないチームのファンになってしまったものだと、正直思いました。
それでも、応援を続けます。我慢した甲斐がありました。その後は何度もパ・リーグを征し、日本一になった回数も数知れません。
しかし、強すぎるのも面白くありませんね。勝手なものです。いい加減ファン心理も白けてきた頃、決定的な出来事が起こりました。
ライオンズの中で特に好きだった、工藤、秋山、石毛の3選手。事もあろうに、揃って福岡ダイエーホークスに移籍してしまったのです。
一遍に、ライオンズへの想いは醒めました。
そしてホークスの監督は、なんとあの王貞治氏。となればもう、考える余地はありません。というわけで、正確な時期は忘れましたが、福岡ダイエーホークスのファンになったのでした。
しかしホークスも、ファンになってからの数年間は成績も低迷。しかしその後は、ソフトバンクとなった現在まで、常勝球団であるのはご存じの通り。
強くなると、またまた興味が薄れてきます。
千葉の柏市に住んでいる私としては、本拠地が福岡というのも遠すぎました。パ・リーグは試合中継が少ない事もあって、ファンとして今一つピンと来ない。
そこでまたまた贔屓チームを変更。今度は一応地元がいいだろうと、千葉ロッテマリーンズのファンに。千葉テレビが、試合中継もしてくれますし。もっとも、ほとんど観てませんが。
とにもかくにも、それが4年前。弱かったですね。それでも去年は、もう少しのところで3位でした。プレーオフまで、もう一歩というところです。とはいえそれは、裏を返せばまたしてものBクラス。
ところが今年は、何を間違ってしまったのでしょう。とにかく強かった。ソフトバンクがその上を行く強さだったので2位でしたが、セ・リーグ優勝を決めた阪神の上を行く勝率です。
パ・リーグには、プレーオフがありますね。まずは西武ライオンズを下し、その勢いでソフトバンクホークスも撃破。千葉ロッテマリーンズには、パ・リーグ制覇を果たして貰いたいものです。
そして最後は阪神タイガースを征し、狙うはもちろん日本一です。
頑張れ! 千葉ロッテマリーンズ!
おいらはドラマー♪ [思い出]
♪~おいらはドラマー やくざなドラマー~♪
別にやくざな事はございませんでしたが、若かりし頃、ドラムを叩いておりました。もっともドラマー自体、やくざな稼業という見方も出来ますな。
特に熱中したのは、17歳から25歳の頃。青い夢も、恥ずかしながら想い描いておりました。
写真は、とあるライヴ・ハウスでの一コマ。いや、二コマ。
懐かしいですなぁー。多分、19・20歳の頃と思われます。
写真の白いセット。ツー・バス、ツー・タム、ツー・バスタム。もちろん自前でございます。その後一回り大きな、赤いセットに買い換えました。材質もグレードアップ。残念ながら、写真は残っておりませんでした。
良く見れば、左利きなのがお分かりでしょう。
演(や)っていたジャンルは、主にハード・ロック。
自分で組んだバンド、或いは加入したバンド。果たして幾つあったでしょうか。関わったメンバーも、30人は下らないと思います。
みんな今頃、どうしているいるのでしょうか。残念ながら、音信不通です。
最後に加入したバンド。渋谷のギターショップ、E・S・Pのスタジオを、練習の拠点にしておりました。
「コイツらとならいける」
そう思ったんですが、残念ながら崩壊してしまいました。
ロック演るヤツなんて、みんな我が強い。ちょっとした意見のすれ違いが、致命的になったりします。
今でも、無性に叩きたくなる事がある。と申しましょうか、無意識に、両手両足でリズム取ってたりします。サガと言うものでしょう。一度染みついたものは、なかなか抜けないようです。
ドラムなんて、叩きたくても環境が許しませんね。近所迷惑なんてもんじゃない。一人でスタジオ籠もるのも億劫だし。何より、当時のセットのまま叩きたいもんで。
ちなみに写真のセット、それだけで6畳一間、占領します。
まぁ、今となっては、いい思い出です。
昔は若さに任せて、好き放題やってました。
その報いと申しましょうか、今では経済的な面も含めて、思うに任せません。
と言うわけで。若い頃にかまけた趣味を、思い出というカテゴリーで、ボチボチ語らせて頂きたいと思います。
先日の 「ランドクルーザー70系」 も、その一つでございました。
自己満足、或いは自慢に映るかも知れません。そこのところは、まぁざれ言の延長として、お付き合い下さいませ。